音楽座ミュージカル「SUNDAY」が深いので、考えたこと…
音楽座ミュージカル「SUNDAY」が大変良くてですね。これが色々考えたくなる作品なもので。ここでは、がっつりネタバレして、思ったこととか考えたこととか書きなぐってみようかと。悪しからず( ̄ー ̄)
変更されたラスト
いきなり最後のこと書いてく
水の役割
ラストに向かっては「水」が非常に象徴的に扱われています。「(きれいな)水を飲む」ということはある意味洗礼として表現されているのではないかなって思うんです。洗礼によって神に近づける、つまり聖者となるということに近いのではないかと。1度目は自分自身のことを振り返り、戻ってきたジョーンにレストハウスの二人が差し出す水。レストハウスに初めて着いたときの水は濁っており、お茶と勘違いしたジョーンが悶えるなんて場面がありますが、このときの水は澄んでいます。そしてジョーンは帰り道にロドニーに詫びようとする。そのとき乗り合わせた乗客の女からは「神の聖者なら」できるだろうけれどと告げられるんですね。その瞬間きっとジョーンはある意味我に返る。私は神の聖者ではないと。そして、汽車を降りたときには「砂漠で思った、それだけ」とバグダッドへ出発したときのジョーンに戻っているわけです。
でも、これで終わりにしないのがいいところだなって思っています。家に帰ったジョーンはこれまで通り、「私がいないと…」と言いながら何も変わらない日常に戻ろうとしますが、ロドニーの机の上にある水を飲み、農場をやろうとしたロドニーを止めたことがよかったかを尋ねるわけです。ロドニーはよかったと思っている、感謝していると伝えます。再度、この水によって神の聖者に近づけたのではないかと。
このときのロドニーの本心は定かではありませんが、少なくともジョーンは初めて自分の行動の是非を他人に委ねたんです。それは神の聖者ほどではないとしても、決して前のジョーンと同じではない、一歩前に進んだ形として描かれているんだと感じました。
原作と初演と再演と
原作では、セリフ同様にジョーンは詫びるのでなく、ただやっと帰ってきたとだけ告げます。どうしようもなく人間は変わらないということを描いたのではないかなと思います。自分の行動の是非を問う部分は初演にもありましたが、正直その結果を捉えにくく感じてもいました。ある意味舞台の上での表情からだけだと、原作と変わらないようにも見えたのです。
今回の再演、「私が終わる 私が始まる」のシーンで、ゲッコーとのデュエットのダンスが追加されています。ゲッコーがジョーン自身の影を象徴しているのはメインビジュアルでも表現されていますね。影というのは物語上よく使われる気がしていて、「ゲド戦記」でも影という存在をキーに、自分自身の影を受け入れる(一体となる)ことで全き(まったき)ものになるという姿を描いていています。それまで気づいていたけれど見ようとしてこなかった影を受け入れる、それを自分の影であるゲッコーとのデュエットダンスで表現したのだろうなと思っています。
私としては、この再演版のラストが本当に好きで、この物語の形が好物なんですね。バグダッドへ旅立ったときと、帰ってきたときでは異なるということ、つまり「行きて帰りし物語」となっているというのが私としてはツボなんです。最初にはまった小説は「ナルニア国物語」(衣装箪笥の向こうとこちら)でしたし、一番好きな映画は「千と千尋の神隠し」(トンネルの向こうとこちら)。彼岸と此岸という考え方もできますが、実生活と離れた場所で経験したことが、すべて持ち帰ることはできなくても、帰ってきてからの糧となるお話がたまらなく好きなんです。
宗教と絡めて
結婚
イングランドの話ですから、宗教としてはキリスト教。もしカトリックだったら(契約という言葉を使ってたりだしカトリックぽいかな)離婚というものには強い制約がある。結婚を契約とみなしているカトリック、その意味でブランチの行いやロドニーとレスリーのことも、かなり強く反発しているジョーンのことが理解できるかもしれないですね。ブランチに対して「何でそんなことができたの?」と言うのも ”したの?” じゃなくて ”できたの?” なのはその辺もあるかしら。
ワイン
ブランチとの再開では頑としてワインを飲まないジョーン。これもちょっとキリスト教に踏まえるとなかなか面白いです。
ワインは聖体と呼ばれるキリストの血にあたりますね。つまりキリストの犠牲をブランチは平気で飲み干す、赦しを得ることに躊躇がない。ジョーンは歯にシミがつくと飲もうとしない。犠牲を受け入れず、イエスの赦しとなるはずだったワインを飲まないというこで、「赦されなければならないの」と言って取り乱す状況を暗示しているかのようです。
他人を愛さない限り、人生の本当の意味はわからない
いわゆる隣人愛を説いているセリフかなって思うんですが、どうでしょう。自分を憎むものでさえ愛すのだというのが隣人愛らしい。このセリフ3度出てきます。
時系列で言うと最初は聖アン女学院の「ギルビー校長の面談」で出てくるんですね。このとき生徒はまぁ校長の言うこと聞いてません笑。ただし、この言葉のときだけブランチが神妙な面持ちで聞いているんです、ほかのところは後ろの人としゃべったりしてるのに。再演からですかね、これ。
そして2回目、バグダッドのカフェで再開したブランチがジョーンに対して言います、序盤だからこそめっちゃ意味深。ジョーンは忘れている感じでしたね。
で3回目、「SUNDAY」でジョーンが思う中でギルビー校長が話、対面の位置からブランチが続きます。ブランチやギルビー校長のシーンはダンスナンバーにもなっているので流してしまいがちなのですが、ジョーンにとって大きな言葉を投げかけているんですね。
対比の仕方で言えば、レスリーも新しい命に「人生の落伍者なんていない」という象徴として考えています。この考え方自体もそうですが、レスリーの言動ひとつひとつは常に隣人愛に溢れているので、赦される側の存在なのかな。ただし、結果生きているのは…というところの現実があって、、、それでもレスリーは自分の人生を生ききることができたんじゃないかなと思います。残された者としては厳しいかもしれないけれど、レスリーの生き方を間違いとしないようなあの後があるんじゃないかって思いたい。
イスラム教とヒンドゥー教
レストハウスではインド人とアラブ人がいます。ジョーンがロドニーに手紙を書くシーンでアラブ人が大声を出して笑いを取る場面があります。あれは1日5回の礼拝(サラート)ですね。これは義務です。だから彼からすれば当たり前のこと。そう考えるとアラビア諸国で上演したらあそこは笑いになるのか?というのが疑問になってきて面白いですね。ちなみにインド人はおそらくヒンドゥー教でしょうから、同じ時間に礼拝を行っていないことも当然といえるでしょう。
もう一つの笑いどころとしては食べ物ちゃんとあるよ~ってところで出てくるのがみな缶詰ってところ。①サケの缶詰②すももの缶詰③豆の缶詰。つまるところ肉がないんですね。これもレストハウスにいる人たちの宗教を見るとなるほどってなる点です。
「砂漠のご案内」の曲中にたくさん神が出てきます。ヒンドゥー教の神様ですね。世界の最初に水があって、種を蒔いたら卵になって、そこからブラフマーという神が生まれた的な話もあるらしい。そしてブラフマン(宇宙の原理)は概念的なものだそうな。なるほどわからん。
シェイクスピアのソネット
『SUNDAY』の原作『春にして君を離れ』の題名はシェイクスピアのソネット98番「From you」の一節からきています。また、作中ではロドニーとレスリーの間で18番も出てきます。
18番「Shall I compare thee」
アシェルダウンの丘で4Feet離れてロドニーとレスリーが話す場面。
「汝がとこしえの夏は移ろわず」
But thy eternal summer shall not fade
レスリーの台詞ですが、伝えるつもりはなかったかのように、発してしまったあとに目を伏せる。18番を読むと、変わりゆくものと対比しながら今の相手の美しさは永遠であることを伝えている詩になっています。お互いが見つめる瞬間がなく、ただその視線は感じて、いずれかは前を向いているという距離が絶妙な違和感。
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date.
レスリーの18番を受けてのロドニーの台詞の原文。「夏の1日」と「心なき風」はレスリーとジョーンを隠喩しているかのように感じます。この辺りは本当にロドニーががっつり怒っている感情が溢れるようになっていて好き。原作では間に116番も挟まれていますね。
98番「From you」
From you have I been absent in the spring,
夏の装いも君と離れて過ごしているうちは冬のようで、それなら夏のそれを君の影として戯れていよう、という感じかしら。
1回目は「こんなに家を、ロドニーを離れたことはなかった」の後。ロドニーと離れていた時間をこの詩に重ねていて、この時間を何もないと思っていた砂の中で大きいのが出てきたものとして自覚するんですね。それを教えてくれたブランチを回想の中では求める。そして春にチャールズ家に行ったことを思い出す。この詩が春から夏に入るころを詩っているからこそ18番との繋がりを感じるし、レスリーとの対比が効いているなと思うのです。「春から夏へ移り変わり」ですし。実際観ているときはジョーンのこと考えている余裕などなく、「すべてが私の日」にどっぷりなんですけどね(;・∀・) 逆光の告発で自分に向き合った結果出てくるのもこの詩。離れるという意味が「家を離れている時間」から「ロドニーの離れている気持ち」へと変わっているのかなと。
その他
盆の回る方向
作品の開始からずっと盆は時計回りに回り続けます。ただし2度、正確にはラストに向けて盆は反時計回りに回るんです。物理的な「行く」と「帰る」ではなく、ジョーンの心理的な部分で方向を変えているんじゃないかなって思います。
基本的にはジョーンの独白、自身を振り返ることで物語が進んでいきます。そして最後、帰ってロドニーに詫びよう、やり直そうという決意をしたときから盆は反時計回りに回り始めているような気がします。なので、ジョーンが「わかってた、全部」「ただ、よくやったって言って欲しくて」と素直に自分の気持ちを認めたときから盆が回る方向が変わる。そして乗客の女とのシーンも気持ちとしては揺り戻しが起きているんだけど、汽車を降りるまではその決意は変わっていなくて、やり直そうとしている。
ただ、汽車を降りる瞬間、ゲッコーの「砂漠で思った、それだけ」を聞いたときに、また盆の回る方向が変わります。ここから家に帰ってくるときには、これまで通り時計回りで(やり直すつもりがない)。そして、水を飲んだ後も盆は回るのですが、ここからのジョーンの気持ちとしてはやり直すことより、これから積み上げていくことを選んだんじゃないかなと思うんですね。だから最後に回る方向は変わらない。
う~ん正直ここの回る方向とその意味は自信ないけども…
バーバラのハグ
「スカダモア家」のナンバーの序盤でバーバラは誰の子どもを友達とするかを強要され、あきれながら「OK、ここはお母さまの家ですものね」と言いつつ、しかめっ面でハグをする。その後ウィリアムと結婚し(ジョーンとしてはもっと近くにいてほしいと反対するが・・・)、バグダッドへ旅立つ。バグダッドで何があったのかは2幕含めて語られるところですが、バグダッドにて少佐に捨てられたという話が入ってきます。捨てられた後に薬を飲んで自死を図り、倒れたところをウィリアムが見つけ助けられるという流れ。「スカダモア家」の終わりではジョーンが見舞いを終え、バーバラと別れるシーンのみ描かれます。このとき、バーバラは「もう少しこちらにいらしたら?」と引き留めるセリフがあります。ウィリアムはこれからの長旅だからと帰らせようと促す。バーバラはお母さんに帰って欲しくないと思っているのではないかと思うんです。別れのハグではちゃんと手を添えているのだから。ウィリアムとしてはそこまでのことを図れてなくて、ジョーンの印象はバグダッドに住むことを伝えたときに反対されたときのままかな。
逆光の告発(事実と思ったこと)
小説では視点がある意味固定されてジョーンの回想になるけれど、舞台ではその表情も言葉もその人自身が発したものとして見ることができる。どれが事実でどれがジョーンの回想なのかを意識してみるのもいいかななんて。バーバラのハグなんかはその最たるものじゃないかと思います。結局このナンバーについては思ったことでしかなくて、子どもたちが実際にどう感じているかはわからない。だからこそ、汽車を降りる瞬間に「砂漠で思った、それだけ」とそこから目を背けることもできるんじゃないかとか考えてみたり。
スカダモア家
ゲッコーが最初にこの物語の舞台設定を説明しジョーン・スカダモアの紹介と「スカダモア家」の曲へ。この流れ本当に素晴らしい。「スカダモア家」ではその名の通り家族構成・そして一人ひとりの想いを各人が語ることになります。しかもバーバラのお見舞いが終わるとこまで一気に進みます。この時点で「作品のテーマ」と「登場人物」「それぞれの抱えているもの」を把握できるんですね。絶妙。
ジャック・デリダ
パンフレットにも出てくるデリダ。出てきた瞬間叫びそうになりましたよね。なにせ初演のときSUNDAYを観て最初に考えたのがデリダだったものですから。※私は専門家でもなんでもないので、かなりテキトーなこと言っていると思いますが悪しからず
哲学的に言うところの「差延」にあたる話でしたね。ジャック・デリダの話をすると必ず出てくるのが「脱構築」というものになります。が、この話をし出すと大変なことになるので、また別の機会に。
雑多なやつ
まず始まり方からしてずるいですよね。携帯が鳴るというのを劇場空間だとかなりシビアに感じますし、それが一瞬どこから鳴っているがわからないんですから。周りに座っているひとも誰だろうって話になってましたね。それにしても千秋楽ですよ。それまでずっと徐々に移動しながらで電源切っているか聞くのは下手側だったじゃないですか。何故最後に限ってひょいっとこっち向くんですか(笑)。突然聞かれても反応しきれません。電源は切ってましたし、もはや他人事じゃないので横に首振りましたが、「さっきも鳴ったんだから」ってゲッコーさん。確かに鳴ってたわってなったよねww。
※びっくりしすぎて動きがカクカクしていたようです(お隣さん談)
最初にテーマを提示するのも、初めて見るときには非常に助けになるなって思います。いま繰り広げられていることが何を意味しているのかとかって、何もわからないと迷子になったりよくしますから。
出てくる言葉も何度か繰り返してリンクしてくることが多いですね。「戦争」「大丈夫」「わかってたらするもんですか」「勝つ」など。ジョーンの大丈夫とレスリーの大丈夫とかけっこうやばい。この作品の中で出てくる「勝つ」って言葉は「負け」を含んでますね。こういうのを脱構築って言いますが…やめます(笑)。音楽的にも同じメロディが繰り返されるので、単純に覚えられるってのもありますが、シーンごとのリンクが音でも出てきて深みが増します。
全編通してかなりえぐられる作品ですが、やっぱりレスリーに惹かれるかな。無理しちゃダメなんて言われても、やっちゃうんですよね。でも、死なない程度にね。
ちなみに乗客の女の「私はまだ乗らなくてはならないの」がわからんのが悩みの種です…
おしまい_(:3 」∠)_